ニコットブログ再録

通夜に出ると、いつも聲が聞こえる。

 

それにはっきりと気が付いたのは、後輩の通夜に出たときだった。
元同僚インストであり、かわいい後輩であった、Eの通夜。
わたしはすでにその職場を辞めており、連絡はこなくても当然だったのだが、まだ勤めていたCちゃんが早朝、連絡をくれた。
突然の報せだった。
彼女をインストラクターに育てあげたがそのときは別の仕事をしていたH氏に、あわてて電話をした。

 

夜。
通夜の席。
祭壇の上の、遺影。
成人式の写真だと、ひとめでわかった。
Eは、その前月に21歳になったところだった。
19歳でわたしたちと同じ職場に入り、それからずっと、一所懸命に生徒さんのためにがんばってきた。
6月に連絡がきたときに、「ちょっと体調悪いんですよ~」と笑っていたが、笑ってないで医者へ必ず行けと念を押した。
というのも、その前からずっと体調がよくないときいていたから。またとんでもないことを強いられて、それを必死にこなしているだろうことは容易に予想がついた。
とんでもないことを要求し、それが達成できないと、どれだけでもそれを強要するところがある社長の下で働いているのだ。
わたしとH氏は、訴訟を起こしてもたぶん勝てるだろうという「とんでもない」ことをやられたので、辞めさせてもらった。
Eにも、その内容は伝えてあったし、十分に気を付けて、体調には絶対に注意するようにと話してもあった。
そして、通夜だ。
6月末に倒れて入院し、8月には意識がなくなり、そして10月、目覚めることなく向こうへ移住してしまったE。
ばかやろうとしか言えなかった。

 

読経の中、華やかに笑っている遺影のE。
そのとき、聲がした。

 

Eの聲だ。
遺影を見た。
遺影のすぐ左上に、きょとんとした表情のEがいた。
いったいなにがおこなわれているのか、まったくわかっていない顔。
たぶん、いままで眠っていたのだろう。
それが読経で目覚め、なにごとかと起きだしてきたのに違いない。
「……ああ、そっか。そーなんだ。なーんだ、そーゆーことになったのかー」
そう言ったEは、破顔一笑。
すべて納得した笑顔を見せた。
それ以後、ずっとその場で、会場内をみわたしていた。とてもおだやかな表情で。

 

通夜が終了し、ご家族のご厚意でEに会わせてもらえることになった。
こんなに多くのひとたちが娘のために駆けつけてくれるとは思っていなかったと、おかあさまはそう言って泣かれた。
それほど多くの方々が、彼女のためにその場にいた。
最後までEと一緒に仕事をし、入院したEをずっと見舞い、またご家族の手助けもしてきたKくんが、H氏にこう言った。
「あいつじゃないみたいですよ。最後苦しんだみたいで……薬で顔がちょっと変わってるので……」

 

H氏といっしょに、棺の横に立った。
E。
「あら、いい顔」
Kくんの言葉があったので少し身構えたが、なんのことはない、別にひどくはない。
「ちょっとふっくらしちゃったのはしょうがないね。でも、苦しそうじゃないからよかった。いっぱい休むんだよ、がんばりや。無理ばっかして。この莫迦。とっとと、戻っておいで。待ってるからね」
H氏といっしょに、そう言葉をかけた。

 

彼女の最初の教え子になった卒業生のみんなも来てくれていた。
わたしのとなりに立ったSちゃんも、泣き笑いしながら「よかった、ほんとだね」と言った。
その場をはなれるときに、Sちゃんがわたしの横にならんで歩いて、そして、服の袖をぎゅっとつかんだ。
「せんせい…………わかったよね?」
Sちゃん。
彼女の言いたいことは、わかっていた。
「うん。だいじょぶ。E、笑ってたでしょ」
「うんっ。そうだったっ。よかった、やっぱせんせもわかったんだ、あたしだけだと思ってたけど、せんせってあっちわかるひとだって思いだして……よかった聞いてみて。そうだよね、Eせんせ、笑ってたよね。だから絶対だいじょぶだよね」
「そう。最初はなにごとかわかんない顔だったでしょ?」
「うん、でもそのうちに笑って」
「あそこでわかったんだよ、だからだいじょぶ。あいつはこっちの役目全部やり終えてちょっと帰っただけ。すぐ、戻ってくるよ」
「だよね? そうだよね、あれって。よかった」
Sちゃんというのは、やたらそういう系に敏感な体質で、本人は極力平穏無事に毎日を過ごそうと思っているのに、むこうがちょっかいかけてきていつも大変な目にあっているような子だった。
だから、Eのことがみえた。
わたしと、おなじものを、その場でみていた。
なので主語抜きで話しても、すべての会話が通じた。同じものを見、同じ聲を聞いていたから。

 

このEの通夜のときが、はじめてだった。
通夜の主役の聲が聞こえることをはっきりと自覚したのは。

 

それ以降、通夜に出ると、聲が聞こえる。
それまでなかったことじゃない。それまでもあったのだ。しかし、Eの通夜以降、それはより鮮明なものになった。

 

先日、母の長兄である伯父が、他界した。
この正月に長年連れ添った伯母を先に亡くし、意気消沈したらしい。
92歳、老衰だった。

 

伯母の通夜のとき。
彼女も最初は自分の立場がわかっていなかったらしく、いつものにぎやかな調子で、みんなで集まっていったいなにがあったんだというようなことを頻りに言っていたが、読経がはじまると、やがてそれは納得した言葉に変わっていった。
「おとうさん、しっかりせんな。なにゆうとるがいね、ちゃんとしてもらわな心配で寝てられんやろ」
こんな調子で、ずっと伯父に話しかけていた伯母。
ああ、おばちゃんらしいな――そう思った。立場に納得して、なお伯父を心配し、あれこれと世話を焼きたがっているのが、実に伯母らしかった。
あたたかな、いい聲だった。

 

しかし。
伯父の通夜で、わたしは彼の聲を聞くことができなかった。
なのに、むこうにいるだろう伯母の聲ばかりが聞こえた。あいかわらず、おとうさんおとうさんと明るい聲が響いていた。
が、伯父の聲はしない。
しかし、景色がちらちらとよぎっていた。
それは、伯父の自宅のイメージだ。
台所から伯母が伯父にいろいろと声をかけている。伯父はいつものシャツにステテコに腹巻という昔のオヤジスタイルで、一升瓶を持って居間に向かうところだ。おつまみをどれにするだの、コップはどうするだの、伯母の声が次々とかかるが、伯父はそれに適当に相槌をうつくらい。
そういうイメージ。
結局、通夜が終わっても、聲をはっきり聞くことはなかった。

 

翌日。
葬儀の間も、聲は聞こえなかった。伯母の聲はするし、日常のようなイメージも見えるのに。
が。
出棺前のお別れのとき、原因がわかったような気がした。
棺の中の伯父は、両目を半分開けていた。通夜のときには閉じていたのに。
伯父は、昨日はまだここにいたわけだ。このからだに。
眠ったように亡くなっていたので、本人は生きているつもりだったのだろう。だから、からだを離れている状態の者としてここに存在していなかった。
読経で目を覚まし、やっと悟って最期の別れをしたのか。まだこのからだに、伯父はいるわけだ。
聲が、聞こえないはずだ。生者の聲は、音声でしか聞こえない。

 

葬儀から一夜明けて。
いまだ、伯父の聲は聞こえない。
が。
伯母との楽しげな日常のやりとりは、イメージとして目の前にでてくる。
たぶん、すでにむこうで伯母といままでどおりの毎日をやっているのだろう。
そう思うと、なんだか安心した。

 

通夜での聲。
わたしにとっては、安心できるものだ。

 


※この記事は、「ニコットタウン」に登録していたときの記事の再録です。ニコットさんのおともだち向けの言葉になっている部分もあります。あしからずご了承ください。


 

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